雑文その2

前日の続き。
「あの娘遅いね、買い物からどう道草くってるんだか…ところであんた、皿磨きはあの娘の役目だろ?」母の窘めるような眼差しに私は邪険に言葉を返した。「うるさいなー、たまにはいいじゃないか。あの娘に任せてたから、先祖代々の銀食器が曇りだらけなんだよ」こちらの言葉にため息をつけつつ母は皮肉っぽく続けた「まったく金属磨きが趣味だなんて貴族らしくもない」「人の趣味にケチつけないでよ、大体我が家は成り上がりでしょうが」「それもそうだけどねぇ」そんな会話が為された数刻後、玄関の扉が開き、台所に義妹の顔が覗いた。
「やっと帰ってきたの」つんとした私の言葉に義妹は首を竦めながらすまなそうに頭を下げた。「ごめんなさい、今から夕食の準備を…」「遅い、待ちきれずに作ってしまったよ。まあ私たちの残りでも食べれば。母様達もう寝てるから、片付けは明日でもいいだろ」「あ、はい、ありがとうございます」「じゃあおやすみ」去ろうとする私を珍しく勢いよく義妹が呼び止めた。「…あの、義姉さま!お話ししたいことがあるんです」「だめ、今から寝るところだから」「そう、ですよね…おやすみなさい」

振り切って部屋に戻ったものの、先ほどの義妹の声色が耳に残って離れない。しばし寝台に寝転がってみて、諦めて私は身を起こした。階段を上がり廊下の端の扉を叩く。驚いたような気配と共に義妹の顔が覗いた。「義姉さま!わざわざこちらにいらっしゃらなくても」「私に見られて困るものがある訳?」「そんな、違います!どうぞお入りください」
慌てて卓や椅子を整える様子をぼんやり眺めていると、呼び寄せられお茶を入れられた。一息ついて、義妹が話し始める。
「外に出かけたら、伯爵様のお使いだという方に呼び止められて。あの、…靴が、ぴったりだったんです。それで、ご子息と、あの、結婚して欲しいと言われて、どうやらあの夜踊った方がそうだったらしいんです」「へぇ、よかったじゃない。絵に描いたような展開で。黒づくめの姉ちゃんやってくれたな」「でも私…」尚もためらうような様子に、私は苛立ちを覚え、立ち上がった。両肩を掴んで目を見つめる。「この家で暮らすより、明らかにいい生活が出来る。やりたいことも出来る。何の不満があるんだい?」「いえ、とても光栄なことなのですけど…」そこまで口にして、何か言葉にしようとするのを遮るようにして私は話した。「いいかい、あんたは私たちの家で冷たく当たられ、苦しい思いをしたと訴えるんだ。そうすれば同情されて向こうでの暮らしがよくなる。あんたのお父さんは私たちにとっても父親なんだ、そして血は繋がっていなくても、あんたは私の妹なんだ。あんたが伯爵様の家に嫁に行けば、私たちにも名誉が与えられる。万々歳じゃないか」「でも…」尚も口ごもったあと、決然として彼女は顔を上げ、こちらを真っ直ぐ見返してきた。「私は、離れたくないんです。一緒にいたいんです」沈黙が続いた。誰と、とは問わなかった。答えを聞いたところで何も返せないとわかっていた。だからわざと軽い口調で口を開いた。「私たち一家は、あんたがいなくなればせいせいするよ」「姉様…!」本当に傷ついたような響きに胸が痛んだけれど、それを振り切るようにドアに向う。と、そこで腕を掴まれ、続いて体がぶつかってきた。そのまま両腕が回され、動けなくなる。「私は…」振り絞るような声に、一瞬目を閉じて回された手を上から押さえた。「義姉さま…」小さな声に、あの日感じた気持ちが蘇る。“別の場所に向かう人”「…ごめん、離して」沈黙のあと、ゆっくり腕が外された。「おやすみ」背を向けたままのこちらの耳に、小さくおやすみなさい、の声が届き、扉が閉ざされた。私は階段を降りた。

翌朝、義妹は正装した一団に連れ出され、数週の間音沙汰が無かった後、いきなり婚約披露の宴が催される旨案内が届いた。母と姉が仰天する中、一人冷静だったことからさんざん勘ぐられるのを交わしつつお屋敷に乗り込む。会場に到着する頃には母も姉も落ち着きを取り戻し、来し方行く末を話し合うまでになっていた。
「あーあ、これで今の生活にはおさらばかねぇ。何せ未来はお奥方様となろうお方を、虐げていた一家という訳だからね」「まあ、元の暮らしに戻るだけじゃない。家の名前を気にしなくて済む分マシでしょ」「それもそうだね」母と話していた姉が、ふいとこちらを向いてきた。「あんたはまた仏頂面しちゃって。実は寂しいんじゃないの。一番あの娘に懐かれてたじゃない」「懐かれてなんかないよ」「またまたぁ、こちらの目の届かないところで優しくしてあげてたじゃないか」「泣かれたりしても鬱陶しいからだよ」「照れちゃって〜」「照れてない!」声を上げたところで、式が始まり、祝辞を述べる人々で座は賑やかになった。しばし宴が進んだところで義妹の挨拶の番となり、ここで私たちは彼女に驚かされることとなる。
彼女は真っ直ぐこちらを見つめて口を開いた。曰く、「私はあの家でつらい思いをしたこともありました。でもお義母様とお義姉さま達はわるくありませんし、恨んではいません」
「言ってくれるじゃないか」「あはは、お母様は確かにそうよね」「あんただって尻馬に乗ってたでしょ!」むきになる母に笑っていた姉は、ふと真顔になった。「…母様は、あの娘の母上に嫉妬していたんでしょう?」娘の言葉に、母も静かに笑い顔を俯けた。「あの人は、生きているうちはあの娘に亡き奥様の面影をずっと見ていたからね…」しんみりした口調になった後、一転して「大体、あんただっていじわるしてたでしょうが」「だってあの娘いちいち素直な反応するんだもん、おもしろくって」(まったく、この人たちは…)周囲のざわめき及び驚きと非難の混じったまなざしも気にしない2人に呆れながら料理を口に運んでいたところ、予測もしていない言葉が聞こえた。「ですので、義母上とお義姉様方には、このお屋敷で私の身の回りのお世話をしていただきたいのです」
義妹の言葉を耳にした長姉が膝を叩いて苦笑した。「…ハ!そうきたか」「やってくれるねぇあの娘も」母も口の端をまげて呟く。「まあ、温かいところで暮らせるのはありがたいじゃないか」「それもそうね」苦笑いする2人の横で私も息をついた。(あいつ…)。
そのような訳で、伯爵の館で生活するようになり、数か月が過ぎた。忙しい日々の中、上の存在となった義妹は、目が合う度話しかけたそうな素振りを見せる。彼女の表情を振り切るようにして身を交わすことが続いたある日、廊下を曲がったところで袖を捉えられた。
「義姉さま!やっと会えた…」「これはお嬢様、ご機嫌いかがですか」「あの…ずっと謝りたくて…ごめんなさい」「何故謝るのです?今や将来の伯爵夫人ともあろうお方が。長年虐げていた我が母子に温情を授けてくださったというのに」今、私はどういう表情をしているのだろう。「母姉共々、感謝しておりますよ」きちんと思い通りの顔を出来ているだろうか。義妹の仕打ちを恨みつつ働いている義姉という、役柄に相応しい顔を浮かべられているだろうか。「…なぜ、こちらを見てくださらないのですか?」「…申し訳ございません、仕事の途中ですから」(意気地なし)自分に向けて呟きながら、私は義妹に背を向けた。「義姉さま!」
「まあ、はじめはあの姫様も優しい顔してとんだ娘だと思ったよ。辛い目に合わせた義理の母姉をここぞとばかりに見下してやろうというのかってね」厩番の爺さんは口が厳しい。苦笑しながら私は首を傾げてみせた。この家の台所は古びているものの整理が行き届き使い勝手がよい。爺さんに茶を進めつつ、私も椅子に腰をかけた。「でも、この屋敷に来て、懸命におっかさんや姉さん達を気遣う姫さんを見てわかったよ。あのまま世間に放り出したら、それこそ総スカンを喰わされてしまうお前たち家族を救おうとしてのことだったのか、とね」
「お袋さんも姐さんも、お貴族連中の中で上手くやってるよ。あんたもあの人たちと同じようにも暮らせるだろうに、わざわざ召使いの一人として愚直に働くんだからなぁ。最初陰口叩いていた奴らも今じゃあすっかりお前さんのこと認めているよ。あのうるさ型の賄い長すらこの間褒めてたぞ」「単に体動かすのが好きなんですよ」笑いつつ夕食の準備に取り掛かる私に、ふと真顔になった爺さんが問いかけた。「あの娘のことが心配なんだろう?もっと頻繁に訪ねてやればいいのに。寂しがってるんじゃないのかい」「忘れたいだろうし、忘れてますよ。覚えていても、恨まれてのことでしょうね」軽く流すようなこちらの声には乗らず、爺さんは気づかわしげな表情になった。「…あの娘がそんなこと思う訳ないじゃないか。わかっているんだろう?」
その日は会食が行われ、私たち召使も多忙な時を過ごした。遅めの夕飯を終え、片付けを済ませて急いで向かった寝室のドアを開けると、挟まれていたものがはらりと落ちた。(何だこれ?)拾い上げると一枚の紙に何やら書いてある。文面に目を通し、私は眉根を寄せた。(あの娘…)
家の人々の寝室は2階にある。並びの一番端のドアを叩くとすぐに返事があった。声をかけ中に入る。「失礼いたします」「遅くなりましたね」「申し訳ございません」すっかり館の一員らしい風情が出てきた義妹がこちらを見つめていた。視線を反らしそうになるのを無理やりねじ伏せ、わざと杓子定規な発音をしてみせた。「姫直々に何の御用でございましょうか」
慇懃無礼なこちらの口調に義妹は乗ってみせた。「その口のきき方をやめなさい。命令です」(らしくなってきたじゃないの)如何にも高貴然とした義妹の様子を内心興がりながらも私は礼をした。「わかりました、ご命令に従います…では言わせてもらうけどね、こうして出迎えるのやめてくれない?」
一気に砕けた私の口調に義妹ほっとした表情になった。「だって、こうでもしないと義姉さま来てくださらないのですもの」傍らの椅子を進めながらお茶を入れてくれる。温かい椀からの湯気に顔を当てていると、義妹の声が聞こえた。「私はずっと、お義母様や上のお義姉様の言うことには傷ついたり泣いたこともあったけど、どこか私を思ってのことだってわかったの。そして、義姉さまは、いつでも私のことを守ってくれた。強い口調だったけど、私が寂しくて泣いている時には傍に来てくれたし、寒い夜には温かい飲み物とお菓子をこっそり差し入れてくれたし、掃除が行き届いていないところを指摘してくれたし…」「いや、単なる嫉妬とか嫌味だってば」口を挟む私に義妹は微笑みかける。「いいよ、照れなくて」「いや、照れるとかではなくてね」
こちらの言葉を気にせず義妹は続けた。「お義母様やお義姉様達が鍛えてくれたおかげで、一通りのことが覚えられた。一人で生きていけるようになれた。でもやっぱり、高貴な方たちの中で一人になるのが怖くて、義姉さま達を引きずりこんでしまったの。許してね」義妹の言葉に私は首を振った。「許すもさないも…どさくさに紛れて父様の借金も王家が肩代わりしてくれたし、母さんとしては万々歳なんじゃないの?慣れない貴族としての付き合いもしなくて済むし。あの人は何だかんだいって、そこそこ流行りのレストランの女将やってた頃が一番活き活きしていたからね。今もお貴族奥様相手のサロン開いて、元気にやってるから気にすることないよ。姉さんにしても、あの人ちゃっかりしてるからその内そこそこの貴族の次男か三男坊捕まえて奥方に収まるんじゃないかな」柄にもなく多弁となった私を、首を傾げて見つめていた義妹は、ぽつりとつぶやいた。「では、義姉さまは?」
内心息をつきつつ、何食わぬ顔を保とうとしながら私は口を開いた。「どうするかね…まぁ、賄い長さんも認めてくれてるみたいだし、体動かすの性に合ってるから、しばらくここで働かせてもらうかな」義妹の顔がパッと明るくなる。「そうしてくれたら、私も心強いよ。色々教えて欲しいこともあるし!」「貴族の奥方ともなろうお方に、直々にお教えできないでしょう」「またそんなこと言っちゃってぇ」
嬉しげな義妹の言葉に心温められながら、その分躊躇いが生じたけれど、私は続けた。「それに、一通りの技術身につけたら、どこか貴族の家に雇ってもらってもいいしね」
その言葉を耳にした妹は、目を伏せてしばらく黙ったていたが、やがて顔を上げた。「私は…義姉さまにはずっとここにいて欲しいな」「旦那と一緒に、堕ちた義姉を笑おうっての?ごめんだよ」「違う!そんなつもりは…
」立ち上がる義妹を抑えつつ、私も椅子から立った。「わかってるってば。そんな顔しないでよ」目を伏せて唇を噛む義妹の顔を覗き込む。「あんたは、頼りになる伴侶を捕まえたんだから、その人と一緒に幸せになるの。そしてあんたの持つ様々な能力を、これからいろんな場面で活かしていくんだ。私も、その活躍を祈っているから」「義姉さま、私は…」差しのべられた手を一瞬握ってから、私は身を翻した。「…じゃあね」「義姉さま!」

数年後、一人の雇われ人が惜しまれつつ家を後にした。数歩進んで屋敷を振り返り呟く。(あなたなら、もっともっと、できるでしょう?)そして彼女は前を向き、勢いよく歩き出した。

月日は流れる。屋敷に植えられた果樹の苗が実をつけるようになった頃、館の一室では人々の華やぐ声が響いていた。
「奥様似ですね」「男だ、よくやったぞ!」「あなたったら」「嫁に出さずに済む!」「それが理由!?」「名はどうしようか」「あなた、よろしければ、付けたい名前があるのです」「おお何だね、言ってごらん」
同じ頃、とある家の台所では食器を磨く賄い婦の姿があった。そこに顔なじみの配達夫が新聞片手にやってくる。「伯爵家の坊ちゃんの名前が決まったってよ」「そうかい、なんていうんだい?」「それが、驚くなよ」「もったいぶらずに早くお言いよ」あそこの奥方様もやり手だからなぁ、と頷いている配達夫を横目に、カップを手にしつつ差し出された新聞に目を走らせた彼女は口に含んだ茶にむせた。大丈夫かと背をさする配達夫に手を上げつつ、内心呟く。(あいつ…、やりやがった)
「奥様、どうしてその名にしようと?」屋敷のメイドに問われ「…わたくしの、一番大切な方の名前なのです。内緒ですよ?」そう言って、奥方はいたずらっぽく微笑んだ。「奥様ー、お手紙が参っておりますー!」「あら、どなたかしら」「それが…」差し出された文面に目を通した奥方は首を傾げた。「あらあら、言い訳を考えなくっちゃ」
終わり

ちなみにイメージとしてはスマのあの娘とJuiceのあの娘とスマのあの娘とお母様は保田さんです(何故かここだけ固有名詞)。お目よごし申し訳。読んでくださった方どうもでした〜。