上京すとーりー

奈良から来たハーモニーのガンバリ娘こと松井絵里奈さんのブログに芸能界を目指してから今に至るまでの話が語られてました。
ちいさな足跡1
ちいさな足跡2
ちいさな足跡3

小さい頃から言われ続けた言葉。『あんたは、我慢強くてえらいね。』
欲しいものは手に入らないんだって知っていた。だからそんなものを
始めから欲しいとは思わなかった。

だけど、唯一、*掴みたい*と心の底から思ったもの。


それは、夢。


『私、芸能人になって、テレビから元気を届けてくれる、あんな人になりたい。』
そんな漠然としているが夢への憧れが膨らむ15歳の冬。

東京に行きたいとお父さんに訴えて、反対されたけれどお母さんは『あんたのやりたい事なら、やりなさい。』と言ってくれ、そして高校の資料請求をし、物件を探した。駅から徒歩30分の4畳半ユニットバスの物件に決定。

私『お父さん。。物件決めちゃった』

父「..........」

私『でも約束する。仕送りは一切なし。ちゃんとバイトする!!弱音も吐かない。成功するまで帰らない。』

父「東京みたいな怖いところ、、、、、」

私『行った事ないくせに』

父「、、、、、、勝手にせぇ。」

父は歯を食いしばるような声だった。私は、仕事着を脱ぎかけた丸まった父の背中を見て、
ちょっと寂しくなったが、『ありがとう』と聞こえるか聞こえないかくらいの声で言った。

奈良から東京まで夜行バスに乗り、着いた時は大雨。38度の熱の中、着いた新居は狭くてすきま風がひどくて唯一ベッドのみが立派なところ。

笑ったみせた。でも、たどり着けて嬉しかったし安心したし、頑張るしかないって思った。
住めば都!!!贅沢なんかいってられへん!!!

まずはすぐさま、バイトを探した。15歳でも出来るバイトは少なかった。。。

ファミリーレストラン。朝から働いた。今までにこんなバイトしたよ(受付、焼き肉屋さん、居酒屋
、日本料理屋)
時間見つけては、学校のレポート。

火事おやじ。じゃなくて、家事、洗濯。。自炊。。正直生活で精一杯だった。
親のありがたみをひしひしと感じる。親に偉そうにしていた自分を反省した。
ファミレスのバイトだけじゃギリなので、もう1つ
試食販売のお姉さん。のバイトも始めた。
2つも掛け持ちしたら、母は絶対に心配すると思ったから、
電話がかかってきても、『友達と遊んでたー』と言っていた。
うそをついてごめんなさい。でも、そうするしかなかった。

なにしてるんだ、わたし。

冬は極寒。(すきま風のため)夏は猛暑。強烈な1人暮らしの月日が足早に過ぎていく。
そんな頃、家では父が病気になる。仕事も出来ない体に、って。
受け止めたくない現実が次から次へと降り注ぐ。
月を眺めたら、勝手に涙がこぼれてきそうで。
ぎゅうううっと目を閉じた。
なんにも出来ない自分に腹が立った。
頑張れがんばれがんばれがんばれ頑張る頑張る、がんばるって、なんなんだ。

現実は甘くないって。ちゃんと肌で感じられた。
自分は小さいんだって気づけた。
それはそれは、東京という憧れていた街が私にくれた贈り物。
だった。
母はいつも明るくエールを送ってくれていた。辛かったハズ。
あんなに反対していた父も。

諦めない事。何がっても自分に負けない事。
大切なものを気づかせてくれた
全ての人、もの、に今感謝して。
弱くて強がりな私は
やっとスタート地点に立っている。
何言っているんだと笑われてもいい。
かっこわるくてもいい。


今を、この世界でがむしゃらに生きる!!

戦うしかない。

今の彼女を形作ってきた経験の一端をまたひとつ知らせてくれたこれらの記述。バラエティでの見事のスベリーナっぷりも、クイズ番組での体張ったチャレンジに迷わず手を挙げる積極性も、奈良の15歳の少女だった頃から抱いてきて実現するべく走ってきた真っ直ぐな彼女の姿勢から生まれているのだと改めて思う。
当方が彼女の存在を知ったのはソニンの出てた竹山先生。にレギュラー出演してた頃からですが、その時も上記のような心情がうかがえるようなガッツを見せてて、そういう所がいいなと感じさせられてきたんだろうなと。これからも彼女の活動を応援していきたいなと思ったストーリーでした。